第8回若手医師のための家庭医療学冬期セミナーアンケート&Correspondence

若手医師のための家庭医療冬期セミナーを企画しているスタッフから、以下のメールをいただきました。

 

毎年恒例となっております「若手医師のための家庭医療冬期セミナー」のスタッフをしております福島県立医科大 地域・家庭医療講座の山入端浩之と申します。今年度も下記の日程で予定しておりますが、その中での新たな試みとして「キャリア支援企画」を進めています。この企画では、諸先輩方のこれまでのご経歴を辿るに至った経緯をび参考にすることで、当セミナー参加者それぞれのキャリア形成の幅を広げる手助けができればと考えております。そこで、これまで貴重なご経験を お持ちの先生方に直接依頼させて頂いております。以下に概要と今回お願いしたい内容をアンケート形式で記載できるURLを載せておりますので、ご回答いただけると幸いです。ご回答頂いたものはこちらでまとめさせて頂き、ポスター形式で掲示致します。

特に先生におかれましては、診療所での研究をどのように行っていたのか、それを行うためにどのような課題があったのかを中心に、若手家庭医の研究したい医師へ応援メッセージがいただければ大変ありがたく思います。

ご多忙の折に大変恐縮ではございますが、若手医師のより一層の成長のためにぜひご協力いただけませんでしょうか。ご高配のほど何卒宜しくお願い申し上げます。


 そこで、アンケートフォームに以下のように記載し、送りました(抜粋)

 

4. 大学卒業からこれま で のご 略歴を教え て く ださい。〇〇大学総合診療科、など匿名での記載も可

 
1982年06月23日 高知県立中央病院医員(研修医)

1984年04月01日 高知県本山町立嶺北中央病院内科医員

1985年04月01日 高知県大川村国保診療所長

1987年04月01日 高知県土佐山へき地診療所長

1989年04月01日 Royal Australian College of General Practitioners, Visiting Fellow

1990年04月01日 高知県本川村国保診療所長

1995年04月01日 自治医科大学医学部助手(地域医療学)

1996年06月30日 自治医科大学医学部講師(地域医療学)

1997年04月01日 高知県十和村国保診療所長

1998年06月03日 博士(医学)取得(自治医科大学:乙第380号)

2000年04月01日 医療法人治久会もみのき病院副院長・内科長

2003年04月01日 東京大学大学院医学系研究科・医学部助教授(公衆衛生学)2006年04月01日 東京大学大学院医学系研究科・医学部准教授(公衆衛生学)2007年04月01日 東京大学大学院医学系研究科・医学部准教授(健康医療政策学)兼担

2009年05月01日 帝京大学ちば総合医療センター地域医療学教授

2011年04月01日 帝京大学大学院公衆衛生学研究科教授(兼務)、現在に至る

5. ご 経歴( 職歴・ 学歴) のうち、 後期研修( 家庭医療専門医後期研修な ど) 修了後のFaculty Development、 Subspecialityの研修、 大学院進学、 研究、 留学といったキャリ ア パス について 詳 しく 教え て く ださい。
 まず、初期研修では、当時は自治医科大学以外は2年間の単科研修が原則で、そのまま専門医になっていました。自治医科大学では、当時から他科ローテート研修をしていたので、複数の診療科で研修しました。当時から、自治医科大学の9年の義務年限後もやはり診療所で仕事をしたいと思っており、そういう研修ができればと卒後数年して思い出しました(今でもそういう自治卒業生は少数と思います)。 自治医科大学では「後期研修」と言って卒後7-9年あたりで1年間、研修期間が与えられます。通常は特定の診療科の技術研修として初期研修を行った病院で勤務することが一般的でした。私はしかし、診療所での生活と勤務をずっと続けようと思っていましたので、後期研修ではそのための場所、つまりプライマリ・ケアの能力向上ができるプログラムを探していました。1980年代後半のことでまだ日本にはそうした正式なプログラムがありませんでした。ですので家庭医の制度や研修システムが整備されている国に行くことにしました。行ったのはオーストラリアとニュージーランドです。そこで得たことは、研修医が家庭医になることに誇りを持っていることと、これからこうした分野でも研究が必要であるということでした。 帰国して無論、自治医科大学の義務年限を終えて後も高知県の山村の診療所で仕事を続けました。当時から教育が好きでしたので、大学の正規カリキュラムやそれ以外でも、学生や研修医を受け入れて時間を共有しました。その傍ら、地域医療の現場で研究を始めました。1995年に一度母校に教員で戻りましたが、2年で再び地域に戻りました。それからも現場での医療実践と研究(Practice based research)を続け、2003年に東京大学医学部公衆衛生学に教員(助教授)として招聘され、2009年に帝京大学に地域医療学ができて赴任、現在に至っています。

6. な ぜその道を選んだので すか。 で きれば長期的に目指すところも含めて 教え て く ださい。
 自治医科大学の義務年限を終えても、山村の診療所で仕事をしようと思っていたのは次の理由です。
・地域で仕事をし続けることが、医師のやりがいであると確信していた。専門診療科の認定医を取るだとか、専門医試験に通るだとか一切考えていませんでした。自己研鑽ができるのであればどこでも医師として通用するでしょうし、大病院の中で歯車として働くのなどまっぴらでした。
 しかし、それだけではなく後日海外研修をしたことでその選択が正しいことを知りました。ですので、周囲の医師たちがやれ専門医になるとか学会がどうとか話しても、一切気にならなかったのです。そんなことに時間を費やすなら、休日は家族と過ごしたり、趣味のウインドサーフィンをしたり、あるいは自分の持つ疑問について研究するほうがよっぽど楽しかったですから。私のモットーに「人生は味わいを深める旅である」というのがあります。いつも何かの選択をするとき、それを考えて決めてきました。

7. その道を選ぶにあたって 、 どういった情報や人間関係が助けにな り ま したか。
 実は、当時私と同じような選択をした人は少ないのです。自治医科大学卒業医師で義務年限を終えても、へき地で貢献している人はいます。そうした人々と一緒に研究など仕事をしたこともありますが、それを一般化し、きちんとした研究から論文へのプロセスを踏むことに温度差があったような気がします。しいて言えば、
・情報:一度母校に戻って、学生ではなく教員として働いたことが大きかった。図書館など大学のリソースの活用方法がわかった。・人間関係:初めて教員として赴任した母校地域医療学初代教授 五十嵐正絃先生 研究の何たるかを教わった気がします。

8. その道を進む上で 困難だったことや障壁とな ったことはあり ま したか。 そして 、 それをどうやって 乗り 越え ま したか。 あれば教え て く ださい。

私は、地域医療、プライマリ・ケア、家庭医療など呼び名は何でもいいのですが、確立していくためには臨床、教育、研究の全てが揃うことが必要と思っていましたから。臨床は無論現場にあります、そして教育も次第に充実してきていますが、真の大きな課題は、海外と同じように独自分野としての確立であって、そのためには研究が必須です。
困難とか障壁は数えれば多くあったと思いますが、乗り越えられたのは一言、研究が楽しかったからです。若い医師たちに言いたいのですが、卒後して10年もたてば受動的に学ぶのではなくて、情報発信をするべきですし、またそういう思いが強くなってきます。そして情報発信の正当な形は、研究成果を世に出すことであるのは言うまでもありません。

9. その道を選んで よかったことはどんな ことで すか。 ま た、 逆に後悔したことや困ったことな どがあ ったら教え て く ださい。

話は古くなりますが、私の受験時代は国立1期、2期の制度でした。東京大学は理一を受けて合格し、自治医科大学にも合格しました。前者を選べば研究者の道を歩めるが医師にはなれず、後者を選べば郷里へ戻って医師にはなれるが研究はできないと思っていました。結局選んだ後者の道でも、東京大学で教員として研究ができました。
迷わず行けば、また道はできると思っています。
10. 若手医師に今後のキャリ ア 形成に関して ア ドバイス があれば教え て く ださい。
若い医師たちに言いたいのですが、卒後して10年もたてば受動的に学ぶのではなくて、情報発信をするべきですし、またそういう思いが強くなってきます。そして情報発信の正当な形は、研究成果を世に出すことであるのは言うまでもありません。また、知的探究心を形にすることは本当に楽しく、皆さんもそうした経験を積むと良いです。

11. その他、 質問・ コメント等あり ま したらお願いしま す。
私の話に興味を持たれましたら、ぜひchikiiryo.jpを見てください。そこには上とも関連しますが、私が提唱する地域医療の2つの「学」と「楽」の実践経験が記載されています。
*なお、若手医師の冬季セミナーですが、「俺を呼ばんか! 俺を!」くらいの気持ちではいます(笑)

追加)「臨床、教育、研究どの分野にも言えることですが、良きメンター(師)を見つけてください。職位や立場ではなく、その人の歩んできた道を見て、本物と思える人です。あなたの人生の羅針盤、それを動かすベクトルの大きな一つは無論、本物と思える先輩の言葉、あるいは共有した時間の中にあります」

 

そうしましたところ、スタッフの山入端浩之先生(福島県立医科大)から以下のメールをいただきました。

 

先生の熱いメッセージに感動致しました。セミナー当日はしっかりと掲示させて頂きます。きっと目にした参加者も私と同じような気持ちを抱き、その後のモチベーションを促進させ、またそこから自身のキャリア形成のイメージを膨らませることと思います。非常に貴重なご意見をありがとうございました。重ねてお礼申し上げます。また、当セミナーワークショップの講師を次年度ご依頼させて頂くこともあるかと思いますので、またその時は 若手医師のためにご協力のほど宜しくお願い申し上げます。

 

<参考資料>

1. 当セミナーについて
【日時】平成25年3月2日(土)13:00(受付12:00)〜3日(日)12:30
【会場】東京大本郷キャンパス(東京都文京区):医教育研究棟および鉄門記念講堂など
【対象】総合的な医療を目指す後期研修医・若手医師・初期研修医
【定員】300名(予定)
【テーマ】“彩”
      家庭医、病院総合医、プライマリ・ケア医の各世代の医師が交わり、共に彩るセミナー
 

2. キャリア支援企画について

【企画名】 キャリア支援企画 ~ロールモデルから描くなりたい自分~

【企画内容】

   対象:後期研修医、休業明けの医師、これからのキャリア形成を考えている医師

   目的:医師個人の将来像に合わせたキャリア形成をサポートする

   形式:ポスターにて掲示のみ(口頭の発表はありません)

   日時:平成25年3月2日(土)12:00~3日(日)12:30(予定)

   場所:東京大本郷キャンパス教育研究棟14階 鉄門記念講堂付近(予定)

IM:来年は、ぜひ講師で呼んでくれ~~~~(笑)

社会医学論文での記銘点

現在共同研究をしているグループ間でのメールのやり取りに、出したメールです。

 

 社会医学の論文で得られた結果から何を提示するかは、著者の大きな仕事です。結果を恣意的に解釈するのはいけませんが、素直な結果に正当なアドボカシーとして意義づけていくことは重要です。この論文ではXが持つYという、Zにもおそらくはつながるであろう好ましい特性がみられて、それを積極的に提示していく論文にすればいいでしょう。Brief reportですからOne point clear messageですね。
 
 この話で思い出すのは、数年前の、松本先生が筆頭の論文です。確か、僻地の医療機関の設備の整備度を調べ、結果として他に比べて劣っている部分もありましたがそうでないところもあった。当初はそれを、やはり僻地ではまだまだ立ち遅れているという文調でしたが、日本ではへき地医療対策として長年へき地医療の支援がなされてきた。そうだとすれば予想されたほどの差が出なかったのはそういう公的施策の成果ではないか、そしてそれが世界に発するメッセージではないかということで雑誌側の論文評価が向上し、受理となったのではと記憶しています。

 このように、得られた結果について視点を変えて考えることはとても大切ですね。

Note:社会医学系論文において指導者がすべきは、経験にもとづいて価値ある視点を提供することです。ここでは臨床経験のみならず、社会医学の研究経験も含みます。編集側になったときに評価するのは、「この研究者たちはわかっている」そして「うん、なるほどそうだ!」という感触です。その分野で豊富に取り組んできた研究者にしか、それは出せません。

尊敬するある先生へのメール(抜粋)

再び先生にお会いできて嬉しく思いました。昨日お話しさせていただいたこと、あるいは先生からお聞きしたことと重なるかもしれませんが、ここに書かせていただきます。
私の認識
1. 大学はあくまで教育・研究の場所である。医学部においてはその実践のための土台として臨床があり、それは無論重要であるが先述の事実が変わることはない。
2. 大学人(教員)は、その構成員としてそれらを推進していかねばらない。自分に与えられた責務を全うしてこそ大学に籍をおく資格がある。また、それから先のステップアップは、ふさわしい業績を持った者に限定される。例えば出身者だからといって業績(多面的な評価)がないのに講師、准教授あるいはそれ以上に行くなど間違いである。
3. 個としての大学人、そして大学自体もまた、与えられたミッションを明確にし、それを遂行していくことが求められる。

地域医療学Net(COMMED)投稿:「地域枠の英語表現」

地域のモデルと言うのは、国際的に見れば1970年代初頭に米国Pennsylvania州のJefferson Medical Collegeで始められたPhysician Shortage Area Programに端を発すると思います。http://www.jefferson.edu/jmc/admissions/procedure.cfm

Rabinowitz HK. Evaluation of a selective medical school admissions policy to increase the number of family physicians in rural and underserved areas. New England Journal of Medicine 1988;319:480-6.へき地及び医療過疎地域における家庭医数増加のための医学校入学選考方針の評価)
要約:ジェファ-ソン医科大学は1974年に医師不足地域対策プログラム(以下PSAPと称する)に着手した。このPSAPは、地方の医療過疎地域で家庭医(プライマリ・ケア医)になる意志のある地方出身の入学志望者を優先して入学させるというものである。(中略)PSAP卒業生が地方あるいは医療過疎地域で家庭医になる可能性は7~10倍(26.7~40.0%対vs 9.2~11.2%p<0.001)で、かくしてPSAPの目標は達成された。本研究の結論は 医科大学(医学部)の入学許可過程(Admission Policy)が、医師の専門分野の選択と開業する地域について重大な影響を及ぼし得ること、また地方の医療過疎地域で家庭医(プライマリ・ケア医)を増加させるための一つの対策を提示するものである。

これは厚生労働科学研究 平成21年度地域医療基盤開発推進研究事業「現状に即したへき地等の保健医療を構築する方策および評価指標に関する研究」(鈴川研究班)での分担研究報告書からの抜粋です。PSAPについてはJAMAやAcademic Medicineなど多くの論文が出ています。


それからして、かつ我が国の「地域入学(制度ないし政策)」の実情、つまりPSAPより全体としては基準が緩いこどなどに即して英語にするなら、正確に言えば、
Selective admission policy for qualified students to increase the supply of physicians in rural and medically underserved areas
このあたりでしょうか。短くして、かつ当初の意図を反映するなら

Selective admission for medically underserved areasあたりかと思います。

それから、WHOが機関雑誌Bulletin of the World Health Organizationに関連トピックで特集を組んでいます。http://www.who.int/bulletin/volumes/88/5/en/
特に、以下は参考になるでしょうか。
Compulsory service programmes for recruiting health workers in remote
and rural areas: do they work?- Seble Frehywot et al. doi: 10.2471/BLT.09.071605

http://www.who.int/bulletin/volumes/88/5/09-071605.pdf

様々な人からもらったメールなど

アンケート依存症

ある研究者からのメールとそれに対するResponseです。

メール内容

前から思っていたのですが、社会医学っぽい研究をする人で、安易なアンケート調査に走る人って多くありませんか? そういう研究は、さしてアイデアが要らず、技術も要さないわけですが、実証性に乏しく、たいてい和雑誌にしか載りません**学会雑誌、**雑誌に載っているのはそういうのばっかりな印象があります。馬鹿の一つおぼえみたいにアンケートを繰り返す「アンケート依存症」も、指導者の力量不足を示す重要なサインと思います」

Response

「まったくもってその通りです。研究疑問や仮説がしっかり作られていない状態でアンケートをしたって良い成果は得られません。それに、アンケート調査は一連の研究だとしたらその端緒では意義がありますが、それ以降は違うデザインの研究に移行していくべきです。常にアンケート調査に終始するのは、意味が乏しい研究をしているといっているようなものです。第一、そんなことでは調査される側が迷惑なだけです」