FB家庭医/総合医会への書き込み
2103/06/09
昨年5月に済州島で行われたWONCA Asia-Pacific Regional Conferenceから1年たちました。日本から近いと言うことで、大勢の方が行かれたことと思います。その時にポスター発表した院生の論文が医学雑誌にShort Preportとして受理になりました。Chisin Ohara, et al. Undiagnosed diabetes has poorer profiles for cardiovascular and metabolic markers than known diabetes: the Yuport Medical Checkup Center Study Diabetes Research and Clinical Practice (accepted)
思い出せは彼女が発表日時を間違えて当日プログラムに載っておらず、主催者に掛け合ってポスターのスペースを確保したこと、そこらあたりにいる人(主に日本から)に声かけて即席プレゼンをやらせたことなど、懐かしい思い出です。プレゼンを聴いたり、コメントをいただいた方ありがとうございました。
以下は、この院生を初め何度か話したことの再構成の逸話です。
若手「先生、自分が論文なんて投稿していいんでしょうか」
IM(自分)「あたりまえじゃあ! このトピックでしっかり学んだろうが、いいか論文は、人々に伝える自分のメッセージなんだぜ。学んだことがみんなの役に立ったら、こんなうれしいことはないだろ」
若手「はい、でも英文なんて書いたこともありません」IM「Inoue Methodsを見よ。それと、言語はともかく内容つまり論理やアイデアとその結果は、どっちでも一緒、それに論文構成もどっちも一緒だよ」
・・・・(後日)・・・・
若手「とっても苦労しました(泣)ですが、論文にしてみて初めて、ポスター作製の時ではわからなかったもう一段深いことがわかってきました」
IM「そりゃそうよ、学会発表はどうあっても言いっぱなしだもの。読者と言う読み手を意識せざるを得ない論文になって初めて、客観的にもそして深くにも検討できるんだよ。そして結果として、自分自身が研鑽できる」
以下は(今思い出した)別の若手との昔の1シーンです@学会シンポジウム会場
B「先生良く寝てましたねえ」
IM「うん、冷房効いているしな。それに演者の話が面白くなかったからな、そういう場合は子守唄になる」
B「僕も何となくはそう思いましたが」
IM「話に深みがないだろ。自分で独自の研究をしたとかな。勿論やってきた経験でもいいんだが、それが聴衆にどういう意味があるか、これまでの知見を踏まえてそれを消化したうえで話すべきなんだぜ。そうでないとこの場で何かを学んだ気にならない」
B「あ、僕が感じたことはそういうことだったんですね」
IM「そうだよ、だから学界の重鎮とかどっかの教授とか肩書はいいから、その人のメッセージが自分の心に響くかどうか考えたらいい。少し本を読んで話せることなら、君の心は動かない」
B「はい、でも僕は若手なのでそこまで言えません。にしても先生急に寝だしましたね」
IM「さっきのスライドに「患者中心の臨床技法」ってあったろ」
B「はい、僕も見たことがある気がします」
IM「だろ~~~~。なのに原典を引用もせず、まるで自分の仕事のように言ってたわな。ああいうのを見ると一気に眠くなる、まるで睡眠薬だぜ(笑)」
査読者になったとき:2回目以降の査読
若手研究者から質問がありました・
「査読2回目だと再度細かくみなくてもよいでしょうか?」
IM Mentor回答
「査読2回目は、前回のコメントに対してどう著者が答えているかだけでいいんです。著者側から考えてごらんなさい。第1回目に指摘されたこと以外でまた言われたら困惑するでしょう? なので2回目以降は、よほどのことがないかぎりそれでいいですよ」
「それに、査読も毎回全部見ていたら大変ですよね。きっと気が重くなるでしょう(笑) 適切なエフォートでいいんです」
「血の通った論文」
発展途上国を念頭に置いた論文を構想している人がいます。その人へのアドバイスです。
「この論文の大意は、僕と君で共有しているけど、細部の記述はそうした国々での仕事をしてきた君の経験が生きると思う。
楽しんで、これまで行った国、出会った人々のことを考えながら楽しんでやりなさい。その人たちに役立つメッセージ、それは机上の空論ではなく、そのお国の状況や住んでいる人々にとってだね。
自分のリアルな体験を基にする、それはPractice based researchの本道でもあるんだよ。それで研究者の思い、血の通った論文になるんだよ」
査読に応じてのリバイス(修正)が時間がかかるんです
こういう質問がありました。
IM Mentor
「リバイスは査読者という相手と交渉していると考えるといいです。交渉に100%はなかなかないのし、相手があることなので、「ここまで」という切りのポイントを作らないといけません。
*読者に(査読に沿って)より良い情報を提供しているか
*査読者が納得するか
この2点をクリアすればそれでいいのです。
研究指導者は以下のようなアドバイスができるべきです。
*ここまででいいんだよ
*これはもう少し記述して
あるいは
*ここは査読者に従う必要はない、こちらの言い分をきちんと書こう