Inoue Methods作成者の意見

1. 医療人となって10年以上たつと、狭義の学び、すなわち「お勉強」ではなく、自分も情報発信したいという気持ちになる(これは当然のこと)。

 

2. Practice based researchを行って、つまり生産(創造)者になって初めて上記のFigureの各要素を理解できる。そこには、患者(研究対象者)の思いや臨床現場の状況が自然と、含まれているからだ(Figure参照)。

 

3.生産する側に立たなければ、その苦労や歩みはわからない。そこにもまた、大切なことが秘められている*。全てが定式化されて処理されていくプロセスだけでは、冷たさを感じる。

 

4.Evidence based medicineは言葉として世に氾濫している。多くの公開された情報が、ある意図をもって利用されているのを感じる。薬の効果や治療法の判定などです。Webやパンフレットの内容にConflict of Interest(利益相反)の匂いを感じるのは私だけではないでしょう。私には、ステルス・マーケティングの匂いすらします。

 

5.Majorと言える、つまり誰でも考える臨床的な疑問なら、私は利害関係のない、したがって信用できるEBMに関する医療情報サービスの話を聞きます。Mindsなどはその候補でしょう。私自身よりよほどお上手ですし、合理的ですから。論文と同じで、読者が全てのステップを踏む必要はない。基本は学びますが、伝道者レベルになろうとは思いません。その時間があるなら、わかってないことで触発されることで、どのようなレベルであれEvidenceの形成に資する仕事、つまり研究をします。

 

再び、

Disclosure is 'Panacea' also for the conflict of interest.(情報開示は利益相反にもまた万能薬である)

 

*だいぶ前に、海外のサイトで見た風刺画(Cartoon)にこんな光景がありました。左側である臨床疑問に対してRandomized controlled trial(RCT)を主導した研究者が、その苦労話など論文でわからないこと、そして将来的方向を本音で話しています。右側では、そっちのけでEBM crusaders(十字軍)のTシャツを着た数名がいます。1名がNNT....などと呪文を唱え、もう1名が「メタアナリシスにするんだから来なくて良かったな、先の話は論文出してからにしてくれ」と言っています。なお、このサイトは再検索しましたが見当たりませんでした。ちなみに、Inoue Methods作成者だったら呪文はいいから、その研究者の話に聞き入るでしょう。その人からでしか聞けない、知のピラミッドへの道があるからです。

Evidence based practiceと呼ぶ理由

なぜMedicine(医学)でなくPractice(実践)を主張するのか? それはEvidence basedで診療行為を行おうということだからです、それ以上でも以下でもありません。上に掲げた「知のピラミッド」、これら全体が人類が今まで積み上げてきた経験と知識の資産です。

 

それらを適切に評価をして、目の前の患者に最も良い医療行為をなそうということは大事です。大事ですが、それだけです、ですのであくまで知のピラミッドを使いこなすツール(道具)であって、そのピラミッドを積み上げていく、より基本的で重要なこととは違います。そこがこれも上にある、あの3重円につながっています。EBMエバンジェリストより、EBMを最初から提唱してきた方々のほうが冷静なのは面白いです。

 

そして、EBM(P)で得られるのは、Primay source(一次的資料)ではありません、あくまでSecondary source(二次的資料)です。本来のクオリティは、あくまでPrimay sourceに依存します。そこにも、「単にせっせと」EBM(P)だけを実践する場合の限界が見えます。

 

もしそうではないという、意見があったら内外のEBMエバンジェリストたちにお聞きしたいです。EBM(P)をせっせとやることで、それがダイレクトにResearchにつながっていくのでしょうか。そうした実例、実践者がいるのでしょうか。もしそうであるならば、Inoue Methods作成者は考えを改めます。

 

Inoue Methods作成者のメッセージ

「知のピラミッドに積み上げる、Primary sourceをあなたから発信しなさい」