大学院と専門職大学院:違いと選び方

質問 

「大学院へ入学を検討していますが、資料を見てもいまだに通常の大学院と専門職大学院の違いがよくわかりません」

 この質問を自分自身、地域医療分野で研鑽を考えている人から受けることがありました。専門職大学院は、どの分野であっても高度な専門分野の職業人を育成し、一方通常の大学院は学術的研究を行う研究者や教員を養成するものであると、おそらくどの情報を見ても書いていると思います。しかしこれだけではわかりにくいですね。

 

 文部科学省のページの「専門職大学院」の解説

ここでのポイント(学習者から見た)は以下の4つだと思います。

・理論と実務を架橋した教育

・事例研究、現地調査などの実践的な教育方法をとる

・研究指導や論文審査は必須としない

・密度の高い学び(少人数教育、双方向的・多方向的な授業)

したがって、「研究指導や論文作成以外の項目」がきちんとできているかどうかが、評価基準になります。この点に関しては、文部科学省のサイトが参考になると思います(1234

 

 ちなみに公衆衛生学を例にとると、日本医大の原野悟先生がわかりやすく公衆衛生博士(DPH)と医学博士(PhD)の違いについて書いておられます。これは他の専門分野にも当てはまるでしょう。

「(抜粋)博士課程では公衆衛生学の専門家としてさらに学んで学位論文を提出して授与されるDPH(Doctor of Public Health、公衆衛生学博士)と、MSc取得の後にさらにその分野について深く研究するDSc(Doctor of Science、科学博士)、より理論的学術的な研究をするPhD(Doctor of Philosophy、学術博士)がある。DPHとPhDの違いは実践的専門職業的な論文を書くか、より理論的学術的かである....」

 

IM Mentorは上記を踏まえて、分かりやすくこう話しています。

「現在あなたがアカデミアにいるか、将来アカデミアへ行って仕事をすること(教員など)を考えているなら、PhDを養成する大学院にするべきです。ここでいうアカデミアとは大学、大学院、研究機関です。またそれ以外でも、研究を教授する立場も含みます。そういう場所では、Original researchをする(教える)ことが使命ですから。

 一方、研究はせずあくまで各々の現場において、実践者あるいはその人たちのリーダーとして働くことを考えているなら専門職大学院が選択肢になると思います。つまり実践の高度教育の場所です。例えば専任教員には、学位は(法令上)は求められず、教育能力の向上のためFaculty Developmentが要求されます」

 

・何を習得したいか

  研究・論文指導をしてほしい→通常の大学院 vs. 不要である→専門職大学院

(現在を含んで)将来の自分のキャリアはどうか

  研究者(&教育者)→通常の大学院 vs. 実務家(&リーダー)→専門職大学院

・どの分野で活躍したいか

  アカデミアを含む→通常の大学院 vs. アカデミアを含まない→専門職大学院

・職業や分野

  論文作成が必須→通常の大学院 vs. 論文作成が不要→専門職大学院

  (例:医師や大学教員であれば前者(PhDやMSc)になることが多い)

 

どちらにせよ、各自にとって「適切な」大学院を選ぶのが一番大事だと思います。そのために必要なことは、その大学院が謳っている学びと、自分がそこで得る学び(学習者の目線)を峻別して、無論後者で判断することです。学ぶのは、あなた自身なので、選んだ責任もあなた自身にありますから。

専門職大学院における誤解(論文作成は不要!?)

上述のとおり、専門職大学院では文部科学省によれば論文作成・研究指導は必須となっていません。それゆえこの点こそが、専門職大学院の所以であり、このようなことは不要であるから始まって、それに類することは不要という風潮があります。しかしそれは大きな間違いです。

 

1. どの大学院であれ、院生はしっかりと論理的に構築された文章作成を常に行い、レポートの形で出しています。Textbookや資料を渡されたらそれは講義までに読んでおく、講義ではそれを前提にActive Discussionを行い、講義後はさらにそれを踏まえて自分のアイデア・視点を入れてレポートを作成、期限までに提出します。したがって、教員もそれにふさわしい指導能力と博識、実績が求められます。

*論文やTextbookの抄読だけでは大学院とはいえない。教授は楽チンですが。

*論文の批判的吟味をしただけで、作成能力ができるはずはない。

*教授は院生の労苦であるレポートについて、評価とフィードバックをする。

 

2. 卒業時には、その結果として、きちんとした論理的構成を有し明快・平易で、メッセージの明快な文章を書く能力をつけることが要求されます。ここに大きな誤解が潜んでいます。「論文作成や論文審査は必要でない」と言う意味は、専門職であるから研究者が日々労苦している独創性のある新事実を審らかにするような文章(つまり原著論文)は単位習得には必要ではないととらえたほうがいいでしょう。この点で、論文と大学院における学びでの文章作成は、前者が後者の延長線上にありうるとは言え、全く違うものです。後者は、どこにあっても必須です。

 

専門職大学院にあっても、多くの院生が自分の仕事をまとめたい、あるいはフィールドで戻ったときに自分で調査研究ができる能力を身に着けたいと思っています。それは無理なからぬことです。先ほどの論文作成についても、「原著」論文ではなくてもクオリティとして同等のものを作成する能力を身に着ける、それは当たり前のことです。そして、別に原著論文であってもそれを否定する理由はなく、院生がそれを目指すなら積極的に指導するべきです。故に、教員陣は、自分たちに豊富な研究経験と手間をかけて指導していく熱意が求められます。

論文否定主義者への質問状

 筆者の出自である、地域医療は言うに及ばず、多くの医療分野(例えば国際医療、看護学など)で、以下の意見を持つ人がいます。

 

「~~は実学だから、論文は不要である」

 驚きなのは、このような主張が、学府である大学に在籍している人からも出ていることです。このような意見には、まずこの質問をします。

「医療はすべて実学ですが?」と。

 

「英文論文(あるいは論文指導)は不要である」

 ほぼすべての大学が、その教育方針に「国際化に対応した知識人の育成」というような文言を謳っています。それは現在そして将来も続くグローバル化を考えれば当然です。さらに言えば、医療における「知」のグローバル化はさらに進んでいます。ですのでこのような質問をします。

「どこにそんなことを言っている国がありますか?」

ところで専門職大学院において、とても全うな議論をする機会がありました。

 

そこでの話では、

「専門職大学院では論文作成、研究指導は不要であるとのことだが、医療系では当てはまる話ではない。なぜなら医療においては、基礎や臨床は言うに及ばず社会医学でも何かのアプローチ、介入など解決策などの実践は、対象者に利益のみならず不利益をもたらす恐れがある。我々は人の命を預かっているのだ。そのような活動において、情報開示は必須であり、ブラックボックスなどありえない。

 科学の世界でそのために行われてきているのが研究成果の公表としての論文発表なのだ。公開されて多くの人に吟味検証され、それで価値が確認されてやっと成果といえるのだ。このプロセスは必須で、そうでなければ誰も信用しないし、危険ですらある。」と。