よくある指導教官のセリフ

ここでは、大学院で指導教官が言いがちなセリフを列挙します。全てが非難されるわけでもないでしょうが、思うことが多々あります。

大学院は独立して自分で研究する場所である

 よく使われる物言いですし、この言葉自体は正しいです。ですが、正しく言えば説明が足りません。正しくは、

大学院は独立した研究者を目指す人が、必要な指導・環境を得て自分で研究する場所である

 こうでなければ、わざわざ高い学費を払って大学院に入る意味はありません。研究主体はあくまで院生本人ですが、一人だけでは到達できないレベルの「独立した研究者(専門職大学院では実践者)」になる教育指導をすべきなのですし、院生はそれを受ける権利があります。

(上を受けて)だから指導が受けられると期待してはいけない

 ですから、手取り足取りの指導は無論大学院ではしないし、する必要はありません。ですが、上記の目標に向かって必要な教育があるのです。どの大学院の資料を見てもこう書いています。

........研究者・実践家を養成します

........研究者・実践家を育成します

 

 指導が受けられると期待してはいけなのなら、こう書くべきです。

・........養成・育成は期待しないでください。指導が受けられなくても学位を取れる人だけ歓迎します。

 こう言われたら、大学院の資料を見せてもいいですよね。入学前には、資料に書いていることが間違いないか、聞くと良いでしょう。

何でも論文を書いたら学位取れるから

 無理です。第一、どうしようもない論文を書いても楽しくありませんし(超広義Inoue Methodsに反する)、科学に貢献しません。それと、現在の教授などの時代の学位取得や論文発表ははるかに簡単でした。今はより高いレベルの論文でないと通りません。

 学位論文はその研究室の水準を示すものでもあります。指導によって上のレベルを目指さなければ、結果として研究室の評価もありません。

忙しくて指導できないんだよ

 別に教授に限りませんが、この世に暇な研究者がいるんでしょうか。それと、真の研究者は、研究することの喜びを知っています。それを知らず、研究が楽しくなくて優先順位が低い教官が、しばしば使う言葉です。

 

知的探究の喜びを知らなければ、研究の優先順位は下がる

上の全ての言い訳の背後に

 研究指導者の指導能力不足があり得ます。その場合、上記の全てはその尤もらしい理由になります。

 

 他所にも書いていますが、指導者の研究業績*を調べます。誰しも、自分がしてきたこと以外は教えられません。しかも教える側はより高いレベルの経験を持っていなければなりません。医療系の研究者なら、

PubMed(分野によってはor 医中誌)で筆頭原著+直接指導原著**が最近5年間で5本以上

 

*本来は大学院生の研究分野の業績になりますが、大きく外れるもの(例:社会医学の教室なのに教授の論文は基礎系ばかりとか)でなければ良いでしょう。

**なんちゃって著者(Gift Authorshipなど)でなくて、きちんと論文に指導貢献したという意味です。教授であればLast Authorは、その論文に指導貢献していない可能性が高いです。

 

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