Note:「S君への手紙その3」の内容は多くがサイト内の他のページありますが、若手研究者へのメッセージということで掲載しています。

S君への手紙その3-論文の動機と実例-

 S君、この春に転勤したそうですね。新しい土地で新しい仕事についたばかりで大変だと思いますが、余裕ができたらまたメールください。この前のメールは私が話したことを、具体的に教えてほしいという質問でしたね。それは「S君が仕事をしている現場にも様々な問題や疑問があると思います。我々の目の前にある人々の暮らしをじっとみつめたとき、そうした疑問が湧いてくれば・・・」という一節でした。具体的にどのようなことを指しているのか、聞きたいということなので私の実例を挙げましょう。

 

1 すでに論文になっているもの1

 高知県の大川村という小さな山村で、私は勤務したことがあります。この村では全村民を対象とした診療所で村民健診が行われていました。その中に胸部X線写真も入っています。診療所の医師が写真を読んで、所見を付けるわけですが、心胸郭比をいつも計算していました。ところが成書には「心胸郭比は50%以下が正常である」と書かれており、50%以上は「心拡大」という所見をよくつけていました。でも次第に、多くの健診をするにつれて「それは本当だろうか、必ずしも心疾患などなくても心胸郭比が大きいことがありそうだ。また、どうも年代で違っているんじゃないか、高齢だと値が高い様だぞ」と感じるようになりました。

 

 その疑問を持ちつづけていて、ある時その村の写真を10年以上に渡ってチェックする機会を得ました。加齢変化を見るには横断的データではなく、同一人を追跡した縦断的データが適していますので、健診開始時と10年後の両方受信している村民のX線写真を調べました。この論文は実際に、ある後輩と電子メールやファックスを活用して共同研究で完成まで言ったものです。ある友人は「竹槍(胸部写真のこと)でも戦い方によっては十分戦力となりうることを示した貴重な論文」と評しました。

 

2 現在印刷中のもの2

 毎年冬にはインフルエンザが流行します。診療所でも多くの患者さんがかかりました。昨年の秋、診療所にインフルエンザについてのポスターを掲示し、ワクチン接種を推奨しました、また、私の診療所に隣接している高齢者生活施設には特に、高齢者のインフルエンザ接種の重要性を説きました。しかし、どちらも反応はあまりありませんでした。一旦インフルエンザがはやり出し、新聞で高齢者の死亡や子供の脳症の記事が出るとワクチン接種に来る人が増えました。高齢者生活施設のほうでも重い腰をあげてワクチン接種をすると言ってきました。ところが、その時期にはすでにワクチンは不足していたのです。

 

よく調べると、ワクチン接種が勧奨から任意になってから接種自体が激減していること、それに伴ってワクチン生産も縮小していて容易に不足すること、医療界でもワクチン接種の有効性に疑問を持つ意見があること、そして新型ウイルスの出現が警戒されていることがわかりました。現状ではあまりにもインフルエンザへの体制が手薄と思い、注意を喚起する意味で短い論文(Letter to the editor)を書きました。この小論文についても多くの友人にメールでコメントやアドバイスをもらいました。

 

3 現在作成中のもの[3

 S君も診療所で、在宅患者などの往診をこなしていると思います。私も午後はしょっちゅう往診に出掛けています。そこで、以下のことに気がつきました。

(1)  地域の高齢者には屋外で積極的に生活している人と、そうでなくて屋内に活動性がとどまっている人がいる。

(2)  後者に属する老人は、それ以外の日常活動性が低い様だ。また、健康問題も多く抱えているようだ。

 

 ちょうど平成7年度に、十和村で福祉サービスの需要調査を目的に高齢者約100名の調査が行われていました。そのデータを利用して、屋内だけの活動性を持つ老人、即ちhomebound elderly peopleについて論文を書こうと思っています。一つはアンケート内のデータを活用した横断的調査、もう一つはそれ以降の死亡と施設入所をアウトカムとして縦断的調査にしようと思っています。後者のほうは既に死亡のデータは補まえました。

 

 我々が仕事をしている現場にも、よく見据えれば多くのテーマがあります。それらはついつい忙しさにかまけて見逃しがちですが、時には振り返ってみましょう。必ず意味のあるテーマがあるはずです。また、こうした自分たちの現場のテーマでする研究は、自分自身にも大変勉強になります。例えば先ほどのhomebound elderly peopleに関する研究ですが、これを通じて在宅ケアの現状や問題点、そして介護保険などの勉強が自然にできました。

 

 また、日々の仕事と連続性が保たれていますので、研究と臨床の両立がしやすいです。中には週1日の研修日を利用して、大学などで例えばラットの実験で論文を書いている人もいるようですが、私にいわせればそれは本格的でなく、また無駄も多く、直接はそのことが日々の仕事に生かされません。我々が疑問に思ってるテーマで、我々しかできない研究をしてその結果を我々自身や同じ現場にいる人々に還元することこそ、本来的なのだと思います。

 

 また、研究テーマやチームはどしどしオープンにするべきだと思います。例えば上記3などはまだまだこれからの研究ですが公開して多くの人々のコメントやアドバイスをもらうことが喜ばしいと思っています。また、別の人がこの関連分野で「そういうデータならうちにもあるぞ」と思って研究することも歓迎です。研究の真の成果、つまりアウトカムは研究者自身にではなく、それによって貢献できる結果を社会にもたらすことなのですから。

 

[1] Inoue K, Yoshii K, Ito H, Effect of aging on cardiothoracic ratio in women :a longitudinal study. Gerontology 1999; 45:53-58

[2] Inoue K. Protecting Japan from influenza. Nature Medicine (in printing)

[3] Inoue K. Homebound status in a community-dwelling elderly population (in planning)

月刊地域医学投稿からの抜粋, 1999)