後輩のS君へ2-研究のテーマとデザイン-

どうですかS君、研究テーマは決まりましたか。この前君のメールには、研究テーマとデザインについての質問がありましたね。手元にあるどんな論文でもいいです、手にとって見てください。その論文の末尾には20や30はざらに引用文献が記載されているはずです。これは何を意味するのでしょう。

 

それは、その論文に関連する「すでになされたこと」が少なくともそれだけあるということ、そしてそれらの蓄積の上にその論文が存在しているということなのです。そしておそらくはそうした過去の業績も、それ以前の先人の達成したところから積み上げられたものです。例えばそれまでの物理学や数学(例えばギリシャのユークリッド幾何学)を一新し、近代物理学や数学を築いたとされるニュートンももともとはそれまでの蓄積から出発しているのです。

 

しかしながらそのニュートン力学も、科学や技術の発達と共に観察される空間現象(特に宇宙において)をうまく説明できなくなっていました。そこへ今世紀になりアインシュタインが相対性原理を発表し、実際に観察される(宇宙)空間現象をその理論でうまく説明したこと、そしてニュートン力学がある意味で言えば相対性原理の近似解であることを呈示しました。しかしまたしても、ニュートン力学を抜きにしても相対性原理も産み出されるることはおそらくなかったのです。同様に医学も科学の一分野として、営々とした蓄積の上に今があるのです。


科学論文において、さらには、恐らく、研究計画についても、2つのことが言 える。第1に、それは、すでになされたことから出発するものでなければならないことであ る。第2に、それは、やりがいのある方向を指していると思われるものでなければならない。 しかし、この2つの条件は、日本の研究者にとっては、特に難しいことのように見える。 ...(Nature Japanホームページからの引用;http://www.naturejpn.com/newnature/htgp/howto4.html)


我々研究者はこの点において、極めて謙虚でなければならないと思います。つまり我々がそれまでの先人の蓄積にさらにどれだけ新しいことを付加できるか、それはギゼーにあるクフ王のピラミッドの頂点に1個の石を置くことかもしれません。研究を開始するにあたって研究者は、本当に1個の石をおくことができるかどうかを考えなければならないのです。また、それを自覚すれば「このアイデアは私のものだ」などという傲慢さはなくなるでしょう。

 

我々研究者が触発されるのは、そうしたピラミッドに相当する先人の業績以外にも、人々が学会で発表したことであったり、あるいはふと先輩や友人から聞いた言葉であったり、あるいはそれらの組合せであったりと様々でしょう。しかしいずれにせよ、また意識にせよ無意識にせよ、「すでになされたこと」なのです。確かにニュートンやアインシュタインの業績は、小さな石ではなく遠くからも見える巨岩でしょう。しかし例え数センチメートルの小さな石でも、その上に置くことができると思ったなら、その研究テーマは価値があるのです。

 

よく研究を始める時に、テーマよりもむしろデザインを延々と議論することがありがちですが、それは間違っています。その疑問に答えられるものであれば、症例報告や事例研究であろうが、横断的研究であろうが、縦断的研究であろうが、はたまた無作為割り付け症例対照研究であろうがデザインはどれでもよいのです。より強い客観的証拠を求める、つまりEvidence Based Medicineがいわれているこんにち、後者の研究デザインほど重視される傾向があります。しかし、研究テーマの疑問に答えられるものなら、研究デザインはコンパクトで簡潔なもののほうが優れています。例えば、現代でも数少なくなったとはいえ「新しい病気の発見」などは1例報告でも十分すぎるほど価値があります(Note)。おそらくその場合、発生頻度や各臨床症状の頻度、分子生物学的手法を用いた遺伝子や発生機序の解析などが研究として続くでしょう。しかし、最初の報告の価値はそれとは比べるべくもありません。


もう一つ大事なことです。我々が研究の成果として手に入れられるのは「永遠の真理」ではありません。物質の根元が目に見えるものから見えないもの、そして原子、そして素粒子、そして素粒子以下のクォークの世界へと続いていったように、我々が得ることのできるのは現在我々がもつ科学技術をもって知覚できるものにかぎられています。ですから、我々ができるのは今の時代において、先人の業績をもとにして新しい知見を呈示し(証明ではありません)、後世へと継続させていくその新しい「輪」を作ることです。

 

私はこのことを学んでから、研究をすることがとても楽しくなりました。眉をしかめて「真理の探究」をするという重々しい態度は必要ないのです。また、多くの論文を読んでみて、いい論文だなあと思うのはデザインや結果のインパクトは勿論ですが、知識の輪をつなげていこうとする研究者の「思い」がにじみ出た論文を読んだ時です。その思いは、例えば単に学位取得が動機で書いた論文などでは絶対出るものではありません。やはりしっかりした研究者の動機と、それに基づいて行われた努力が必要でしょう。

 

S君も地域医療の現場そのものである、診療所で仕事をしながら研究するわけですが、テーマはどのようなものでもかまいません。君の働く現場で得たテーマで、足が地にしっかりついた研究をしましょう。ではまた連絡待っています。

 

                    (月刊地域医学投稿からの抜粋, 1999)

 

Note: 20世紀後半(1960年)に発見された福山型先天性筋ジストロフィー(FCMD)はその例です。

この文章の隠れたメッセージ

S君の手紙2には、論文本体の文章を作成するに当たってのInoue Methods上大切なことが含まれています。さくさく文章を書くコツといってもいいかもしれません。

 

それは何でしょうか? とりあえず考えてください。考えたらLunaに行ってください(笑) 

 

ヒントは、Disclosure is 'Panacea'. (情報開示は万能薬である)